2019年2月12日

Santosha(サントーシャ) ~足るを知る~

 

ライターの中村です。早いもので1月も終わりなのですね。

今年のお正月は自宅と両家の実家(東京&静岡)、それと近場の温泉(伊豆)で夫とゆっくりと過ごしました。

年末年始の読書はこちらを。

ジョーン・ディディオン著 「悲しみにある者」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジョーン・ディディオンはアメリカの作家、ジャーナリストで現在は84歳。老いても尚、青い炎のような、静かで凄みのある美しさが印象的です。60年代のカウンターカルチャーを題材にした小説や映画の脚本を執筆し、後には政治関連の書籍も発表しています。

 

「悲しみにある者」は、ジョーンが2003年に最愛の夫を亡くした直後からの1年間(同時期に彼女の一人娘は闘病中で生死の淵を彷徨い、のちに亡くなる)を赤裸々に書き連ねた記録の書です。美化せず、誰かの心を動かそうという意図もなく(おそらく編集も最低限にとどめ)、大きな喪失と混乱の中で記した言葉には、彼女の印象同様、静かに凄みがあります。

 

この作品の中で、何度も彼女が繰り返す、

「それは夕食の席にだって起こるではないか」

といった内容の言葉。これは、実際に夫が夕食の支度中にダイニングテーブルで突然亡くなったことを指しているのですが、愛する人との別れは、いつどんなタイミングで訪れるかは誰にも分からない、そうですよね。

さらに、彼女の言葉を通して、その喪失体験はどんな準備も心構えも、哲学も、さして役には立たないということが伝わってきます。それほどまでに、壮絶であると言うこと。なんだか、重い題材のようですが、でも実は全員にいつかは訪れることでもあります。

 

年末から年始に掛けて、空いた時間を見つけてこの本を読んでいたのですが、不安や恐れが高まるのではなく、私の中で少しずつ温まってきたのは、日常というものに対する感謝でした。人の一生は本当に“生もの”で一回限り、なんですよね。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

両親も70代に入り大きな病気・闘病も経験すると、「命」や「死」を前より現実的なこととして捉えるようになり、30代とは明らかに違った死生観が自分の中で育ってきます。これは、悪いことではないと思っていて、なぜならそれだけ一日一日に対する思い入れが深まるからです。普通の毎日に感動すること、大切にできること、これ、幸せでオーガニックで、楽しいことだと実感しています。

 

ヨガの哲学のひとつにSantosha(サントーシャ=知足=足るを知る)というものがあります。

足るを知る。いくつも解釈はありますが総じて、過去や未来に振り回されるのではなく、「今ここ」を生きるということを意味します。「持っていないもの」を探すのではなく、既に自分の中にあるものを改めて俯瞰すると、じゅうぶんに満たされていることに気がつくことができる…。

 

伊豆の温泉宿に滞在している間のお夕食の席で、いつものように夫とたわいもない話で笑っていたときのことです。突然、涙腺がバグって(笑いながら)涙が止まらなくなる事態に。夫はおそらく「うちの嫁、よく笑う」くらいの感じで見ていたことでしょう。

 

実際は、直前までお風呂で読んでいた前述のディディオンの書籍の影響で、急に「今」に感動して溢れ出たわけなのですが…。(この類のミスアンダースタンディングは心地が良いので、いつもそのままにします。)

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日という一日は、もう二度とない日

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、食いしん坊な私の大切な日常といえば、もっぱら毎日のごはんです。

最近は毎食のサラダに黒酢ヒマラヤ岩塩(もしくは塩麹)、亜麻仁油アガベシロップと黒胡椒でつくったドレッシングを欠かせません。美味しい黒酢を使うと、野菜を永遠に食べられるドレッシングができあがりますよ。是非お試しくださいませ。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サントーシャ

毎食、毎日を大切に

https://www.amritara.com/

 

 

 

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